或る独りのろまんてぃすと

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シュワルツェネッガー主演映画おすすめ(しない)5選

アーノルド・シュワルツェネッガー

ボディビルのチャンピオンから、アクション俳優に転身、数々のアクション映画に主演する。特に80年代から90年代にかけて、ほぼ毎年のように主演作が製作されて、数多の映画が公開された。その中にはもちろん名作も多いが、一方で迷作もあったりする。そこでわたしが、これぞ迷作、と思われる作品を紹介していこう。

なお、いちいち「アーノルド・シュワルツェネッガー」、あるいは「シュワルツェネッガー」と表記するのは煩雑なんで、以下「シュワ」と表記する。

SF超人ヘラクレス

1970年公開(日本劇場未公開)、シュワ映画デビュー作。

ギリシャ神話の英雄ヘラクレスが、現代のニューヨークに現れて騒動を巻き起こすコメディー映画。

テレビ放映時は『アーノルド・シュワルツェネッガーヘラクレス』など、DVDは『アドヴェンチャー・オブ・ヒーロー』の邦題が付けられている。

原題は『HERCULES IN NEW YORK』だから、わたしなら「ヘラクレス、ニューヨークをゆく」くらいに訳すな。

シュワはのちに『ツインズ』(1988年)など、いくつかのコメディー映画の主演作もあるが、実はシュワの原点はアクション映画ではなく、コメディー映画なのかも。

ちなみに1983年公開のイタリア映画に『超人ヘラクレス』(英題HERCULES)という、なんか似たようなタイトルの映画があって、主演のルー・フェリグノは、テレビドラマ『超人ハルク』の変身後のハルク役やったり、アニメのハルクの声やったり映画『インクレディブル・ハルク』でハルクの声やったり(警備員役でカメオ出演もしてたり)、当代のハルク役者だけど、この人、かつてボディビルの国際大会「ミスターオリンピア」で、シュワのライバルと目されていた。やっぱりヘラクレスを演じるには、ボディビルダーレベルの筋肉が必要なのか。まあ今ならCGで盛りそうだけど。

まだオーストリア訛りの強いシュワのセリフは、別人が吹き替えで当てている。

この時の芸名は、アーネスト・ストロング。

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キング・オブ・デストロイヤー

1984年公開。ヒロイックファンタジーの古典、ロバート・E・ハワード作『蛮人コナン』を映画化したシュワの出世作コナン・ザ・グレート』(1982年)の続編。この年はあの『ターミネーター』も公開されてる。

前作のダークでシリアスな世界観(と、少々のエロ)から一転、明るい健全なファミリー映画的な感じに成り果てた。

グレース・ジョーンズ演じる、あまりにも精悍すぎる風貌の女戦士ズーラはいいとして、コナンの相棒の盗賊のキャラが、前作と違いすぎるのがなあ。

前作『コナン・ザ・グレート』で好きだったシーン。恋人の女戦士ヴァレリアが死に、無表情でじっと悲しみを堪えるコナン。それを涙を流しながら見守る盗賊サボタイ。その様子を見る魔法使い(マコ岩松)はサボタイに問う。「なぜおまえが泣く?」サボタイは答える。「キンメリア人のコナンは泣くことを禁じられている。だからおれが代わりに泣いてやるのさ」友の心情を推し量り、悲しみを分け合う、友情に厚い漢である。

でも今作の盗賊マクラは、コメディーリリーフキャラだし、相棒というよりコナンの手下みたいだし、そういったシリアスなシーンがないからなあ。

ゴリラ

1986年公開。『ターミネーター』(1984年)『コマンドー』(1985年)とヒット作を連発したシュワが、今度は潜入捜査官物に挑んだ。

邦題の『ゴリラ』は、同年公開のシルベスター・スタローン主演『コブラ』に対抗して付けたのであろう。原題は『Raw Deal(ひどい仕打ち)』である。どうでもいいけど、わたしが小学生の時、コロコロコミックに『ザ・ゴリラ』という(『ドーベルマン刑事』のパクリみたいな)刑事物マンガが連載されてた。

左遷された元FBI捜査官マーク・カミンスキーは、FBI復帰の条件でマフィアへの潜入捜査の任務を受ける、死を偽装し、ジョセフ・P・ブレナーという偽名を使って、地道に捜査を行うシュワだが、ロバート・デヴィ(『ダイ・ハード』で横柄なFBI捜査官してた人)演じるマフィア幹部に怪しまれ、結局正体がバレて襲撃され、一緒にいた上司が巻き添えで重傷を負う。怒りに燃えたシュワは、大量の火器で武装してマフィアのアジトに殴り込み、マフィア構成員を皆殺しにして事件は解決。だったら最初からそうしろよ。

でも、武器をガチャガチャと準備するシーンだけは、テンションが上がる。

youtu.be

 

バトルランナー

1987年公開。原作はあのスティーブン・キングが、別ペンネームのリチャード・バックマン名義で書いた『ランニングマン』。この年には『プレデター』も公開されている。

シュワ演じるのは、冤罪を着せられた警察官ベン・リチャーズ。彼はテレビの殺人ゲーム番組「ランニングマン」に出演させられる。

追いかけてくる、ストーカーと呼ばれる処刑人たちから逃れ、ゴールできれば無罪放免になるゲームだが、このストーカー、そろいもそろってマンガみたいに奇抜で滑稽な感じ、シュワはさほど苦労もなく突破する。おかげで観客の中から、シュワを応援するものが出る始末。

その後反政府レジスタンスと合流し、スタジオを制圧。シュワの冤罪を晴らし、番組と政府の悪事を暴き、司会者兼プロデューサーのデーモン・キリアンを爆死させて終わり。

でもこの映画で怖いのは、刺激があれば何でも熱狂する観客たち。シュワがストーカーを倒しても、司会者を殺しても、ただひたすら歓声をあげてるし。

ストーカーの一人、ダイナモを演じた俳優アーランド・ヴァン・リドスという人は、この映画公開からまもなく急死してしまい、本作が遺作になってしまった。ダイナモは、放電を武器とするストーカーだが、全身が電飾で覆われ、朗々とオペラを歌いながら登場する(演じた人、ほんとにオペラ歌手でもあった)。しかし本作のヒロイン、レジスタンスメンバーの女性アンバー・メンデスをレイプしようとして、シュワに「おい、やめろ、クリスマスツリー!」と罵られるし、その最期は、やはりアンバーをレイプしようとしてズボンを脱いだところ、「アソコも電気で動くのかい!」と罵られた上に、破壊されたスプリンクラーから噴き出した水で、自ら放電してる電気がショートし感電死。おまけに下半身ブリーフ一丁と、たいへんみっともない死に様をさらした。こんなのが遺作になるとは、悲しすぎる。

キンダガートン・コップ

1990年公開。『ツインズ』に続き名匠アイヴァン・ライトマン監督と組んで製作したアクション・コメディー。同年には『トータル・リコール』も公開。80年~90年にかけてのシュワの仕事ぶりは尋常じゃないな。

麻薬密売組織のボスの証拠を掴むため、ボスの元妻である幼稚園教諭の女性が勤め、また彼女の息子も通う幼稚園に潜入捜査を行うことになったシュワ演じるジョン・キンブル刑事。本来なら、保育士の経験がある同僚の女性刑事が潜入することになってたが、その直前に女性刑事が食中毒で入院してしまったため、シュワが潜入する羽目になった。慣れない子供たちの相手に悪戦苦闘するシュワ。だがだんだん、警察学校式教育法など、なんとか知恵を絞って子供たちと近づいていく。

子供を虐待してる父親をぶん殴るなど、荒っぽいが真剣に子供たちと向き合うシュワの姿に、園長も密かにシュワを認めるようになる。

ラストは、息子を奪い返しに来たボスと、園内で戦いになるが、息子を人質に取ったボスを、隙を突いて射殺。息子を人質に取る父親も父親だが、息子の目の前で父親を射殺するシュワもシュワだぜ、って気もするけど。まあこれで事件解決。

これ以降、『ターミネーター2』(1991年)『ラスト・アクション・ヒーロー』(1993年)と、少年と絡むストーリーの映画が続くのは、この作品で気をよくしたからか。

なぜか2016年、26年ぶりにドルフ・ラングレン主演で続編『キンダーガートン・コップ2』が公開された。

 と、いうことで。

 

 

 

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ファミコンRPG事始め

いや今、先月8月24日からニンテンドー3DSダウンロード配信ソフトとして発売された、『ドラゴンクエストⅢ そして伝説へ…』をやってる。

ドラクエⅢといえば、1988年2月ファミコン用ゲームソフトとして発売され、当時発売日には店頭に長大な行列ができ、社会現象を巻き起こしたほどの、大ヒットゲームである。

現在は、シリーズ最新作の『ドラゴンクエストⅪ 過ぎ去りし日を求めて』が、7月29日に発売されているが、やっぱり往年の人気には及ばない気もする。

ちなみにわたしは、ドラクエはⅥぐらいまでしかやってないんじゃないかな(汗)。

 ファミコンで本格的なRPGが登場したのは、1986年2月21日ファミリーコンピュータディスクシステム発売と同時にリリースされた、『ゼルダの伝説』ではないかな。マップを移動し、アイテムを入手し、キャラクターを成長させ、ストーリーに沿ってゲームを進めていく。当時プレイしていて、非常に斬新さを感じた。

続いて、『ハイドライド・スペシャル』というのがあって、これはPCゲームからの移植で、PC版『ハイドライド」に、『ハイドライド2』の要素をちょっと入れて、ファミコン版として開発、1986年3月18日にリリースされた。ゼルダと同じアクションRPGである。記憶が定かではないが、たぶんわたしはハイドライドの方を先にプレイしたんじゃないかな。ゼルダをプレイするためには、ディスクシステム本体も買わないといけなかったから。

そもそも、わたしがRPGというゲームを知ったのは、1984年に邦訳版が出版されたゲームブック『火吹き山の魔法使い』を読んでからだと思う。

ゲームブックというのは、章の最後に選択肢があり、選択した章、あるいはサイコロの出目により指示された章に飛びながら読み進めていき、最終章を目指す。選択を誤る、あるいはサイコロの出目が悪いと途中でバッドエンドとなり、物語はそこで終わる。最終章のグッドエンドにたどり着くまで、何度も読むものである。

その後、数人のプレイヤーが集まり、会話で物語を進めていくロールプレイング(role-playing、役割を演じる)ゲームというのがあることを知った。

だから本来のRPGというのは、みんなで集まってわいわいやるもんだったんだけど、それを一人でPCで遊べるようにしたコンピュータRPGが派生し、日本ではコンピュータRPGの方が主流になって、従来のRPGテーブルトークRPGと呼ばれるようになった。

そして『ドラゴンクエスト』一作目である。リリースは1986年5月27日。つまりファミコンRPGの歴史というのは、まさに1986年より始まったといっていいかも。

ドラクエは、アクション要素を廃し、テキストを読み進めながらプレイするという、前年同じエニックス社(現スクウェア・エニックス)より、PCから移植リリースされた推理アドベンチャーゲーム、『ポートピア連続殺人事件』があったとはいえ、当時のファミコンゲームとしては全く新しい操作方式で、そのおかげでじっくり物語と向き合うことができるゲームとして、一世を風靡した。

ドラクエの大ヒットで、各ゲームメーカーもRPG制作に乗り出し、スクウェア社(現スクウェア・エニックス)の『ファイナルファンタジー』という、これまた現在まで続く人気シリーズとなる作品もあれば、こけた作品もあり、まさに玉石混合といったところか。ちなみにスクウェアもやはり1986年の12月19日にDOCというブランド名で、ディスクシステムRPGソフト『ディープダンジョン』というのをリリースしてる(『ファイナルファンタジー』のリリースはそのちょうど一年後の1987年12月18日)。

しかし、『ファイナルファンタジー』シリーズはプレイステーションでリリースされた『Ⅶ』辺りから、変にキャラクターが立ってきて、プレイヤー自身が主人公の「役割を演じる」感が薄れて、物語を「読まされている」感が強く、これはRPGかな?的な感じが、わたしには感じられるようになってしまった。逆にわたしが近年のゲームで、これぞRPGと思ったのは、RPGとはうたっていないアクションゲーム『モンスターハンター』だったりするんだがね。

ドラゴンクエストIII そして伝説へ…

ドラゴンクエストIII そして伝説へ…

 

 

 

 

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