相撲館けはや座、見学のこと
日本書紀に記されている、日本初の天覧相撲と言われる、野見宿禰(のみのすくね)と當麻蹴速(たいまのけはや)の闘い。
その當麻蹴速、名が表す通り、現在の奈良県葛城市當麻(旧北葛城郡當麻町)に住んでいたと言われ、その故事にちなんで平成2年より、葛城市相撲館けはや座という相撲博物館が設立されている。
場所は、近鉄南大阪線当麻寺駅から当麻寺まで向かう道の途中にある。
ちなみに、わたしの母の出生地も當麻町である(笑)。
これが入り口。
観光案内所を兼ねていて、中には観光パンフレットとか、いろいろ置いている。
横綱の写真とかも展示してあるし。
で、奥の受付で入館料300円(大人料金。小中生150円、幼児以下無料)を払うと中へ案内される。
これは本場所で使われる土俵と同じ作りになっているが、展示用なので土足で上がってもいいとのこと。あと女性でもOK。
上がってみるとけっこう高い。土俵上から下に落ちると、普通の人なら怪我しそう。
土俵隅には塩が用意されてるんで、塩をまくこともできるぞ。
升席もある。
2階には、相撲の歴史についての解説や年表、歴代の力士の写真、化粧まわしなど力士ゆかりの品、昔の相撲グッズなどが展示してある。わたしが一番興味を引かれたのは、いくつか展示してある過去の番付表の中に、
昭和44年11月場所って、ちょうどわたしが生まれた時のものだ。
相撲館の隣には當麻蹴速の塚が奉られている。
當麻蹴速の言葉に、「四方に求めむに(よもにもとめんに)、豈我が力に比ぶ者有らむや(あにわがちからにくらぶものあらんや)。何して強力者に遇ひて(いかにしてちからこわきものにあいて)、死生を期はずして(しにいくことをとわずして)、頓に争力せむ(ひたぶるにちからくらべせん)」というのがある。現代風にいうと「周りを捜しても、自分と対等の力を持つ者などいない。どうしたら強い男と出会い、生死を問わず、ただひたすら力比べができるだろうか」ということだろうけど、実際蹴速は、野見宿禰との闘いで、背骨を蹴り折られ命を落としている。
「蹴速」という名前は、蹴りが速い、というところから付いたと言われてるし、二人の闘いはまず、蹴りの応酬から始まってるから、このときの相撲は、のちの相撲ルールではなく(何しろ日本初の相撲だからルールなんかないだろう)、総合格闘技的というか、しかも最初期のまだルールが整備されていない頃のUFC以上の、壮絶な闘いだったんだろう。
でも、言葉通り、生死を問わない試合を全うした蹴速にとっては、命を失っても本望だったろうし、それに応えてきっちりとどめを刺した宿禰も、またすごいとしか言いようがないなあ。
神話の時代から戦国時代までの、伝承・説話に残る素手の闘いにこだわった物語集。脱線話も交えながら軽快に描かれてます。この記事を書くのにも、少し参考にしました。