或る独りのろまんてぃすと

思いついたことを、支離滅裂に書く

スローすぎて、やれやれだぜ

何事も、取りかかるまでに時間が掛かる。

さて、ブログの記事を書かねば、と思いついても、なかなか取りかからない。

PCに向かっても、ソリティアなんかして、時間ばかり経ってしまうんだな、これが。

いやいや、ソリティアしながら、考えてるんだよ。一応は。

何事もそうで、思考を、頭の中でグルグル回してる。

だいたい、枝葉末節にこだわって、根幹がしっかりしてないから、さっぱりまとまらない。

人との会話してるときでも、どう返答するか、まず考える。

考えがまとまるまで、無言になるから、会話の間がもたなくなることもしばしばである。

でも考えないと、その場の思いつきで喋ってたりすると、自分でも何言ってるのか分からなくなるんで、後で困ったことになりかねない。

まあ、思考も遅いけど、行動も遅い。

体の動きや走るのも遅いんで、子供の頃は運動会が大嫌いだったよ(泣)。

しかし、(ことに仕事関係の課題で)どうしてもやらないといけないことで、しかも期限ある場合、やっぱりぎりぎりまで先に延ばしてるけど、切羽詰まってくるとこれがまた、変なパワーが発揮され、短時間で仕上げられるんだなあ。

どうもいけない。

何事にも迅速に行動できれば、今よりもっといい人生送ってんだろうな。

でもわたしはわたし、マイペースでいくしかないのう。

 

 

 

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忘れられない看護エピソード(笑)

5月12日は、看護の日だそうだ。近代看護教育の母(実は数学者の側面もあり、統計学の先駆者ともいわれる)、フローレンス・ナイチンゲールの生誕日に由来し定められた、International Nurses Dayに基づいて、日本で制定された記念日である。

日本看護協会は、看護の日を含む一週間を看護週間と定め、様々なイベントを催しているが、その中の一つ、一般・看護師の看護にまつわるエピソードを公募し、「忘れられない看護エピソード」とし、優秀作に対して表彰を行っている。

で、今から35年前、13歳の時だが、わたしは心房中隔欠損症という病で手術を受けるため、約40日ほど入院生活を送ったことがある。

まあ、入院・手術となると、いろいろつらいこともあったが、同室の患者さんたちから、彼らもまた病と闘う身でありながら、わたしのことをまるで、孫、息子、弟であるかのように、親身になって多くの励ましをいただいた。感謝の一言に尽きる。

一方、ナースさんたちはといえば、うーん、あんまりいい思い出ないなあ(苦)。

特に忘れられないのは、手術の前日、テレビの洋画劇場の番組で、『アマゾネス』(1973年、テレンス・ヤング監督)という作品が、午後9時から放映とある。なんか裸の女性がいっぱい出てそうで、当時エロガキだったわたしは(今もあんまり変わってないが)、観たくてしょうがない。しかし、病棟の消灯時間である。

それでもわたしは、結局テレビ点けたんだけど、そこに巡回のナースさんがやってきて、「明日手術やろ、早く寝なさい」と叱られてしまった。

何しろ35年前である。当時はまだレンタルビデオもなく、テレビで観たい映画が放映されるときは、その時に見損なうと、次放映されるとしても、下手をすると何年も待たなければならない。わたしは残念な気分で就寝した。

まあ、数年後に観たけど、あまりにつまらなくて、途中で寝た。

あと、手術後のICU(集中治療室)で過ごしたその夜は、人生で一番長い夜となった。とにかく体中にカテーテル入ってるし、自分の体がどうなってるか分からないし、絶飲食で、ひたすらのどの渇きに苛まれた。点滴で、必要な水分は体内に入ってるけど、やっぱり経口で飲水できないのは、心理的に恐怖を感じるのだろうな。

まあでも、この入院経験は、いい経験になったと思う。病と闘うというのがどういうことか、自分の目で見て体験できたから。

 

 

 

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